もう一度、灯りをともすということ
私のスーパーバイザーであるベテランの心理士は、
「心理士とは自立することが大切だ。だから君も、開業して自分の場所を作るべきだ」
と助言した。
私は、たしかにそうかもしれないと思い、センターを開業した。
しかし、いざ立ち上げてみると、あっという間に行き詰まった。
問い合わせ手段など、働く場としてのフレームは他のセンターを参考に整えることができたが、
肝心の「私自身の言葉」をどう刻むかで悩んでしまった。
例えば、「しんどいなら逃げてもいい」というメッセージ。
今ではありふれているし、確かにそうだと思う。
しかし、ふたつよいこと、さてないものよである。
このメッセージには二面性がある。
──労働環境の改善を求めて何度も声をあげても、
上司からは力で押し返されるばかり。
過酷な労働環境の中で、
少しずつ心身がすり減り、眠れない夜が続く。
疲弊と苛立ちのなかで、家族との関係もうまくいかなくなっていく。
そんな状況にある人にとって、
環境を変えることは、自分自身と、
愛する人たちを守るために、どうしても必要な選択となることがある。
──一方で、入社初日、通勤途中の緊張で仕事に行くか悩んだとき、
「しんどいなら逃げてもいい」というメッセージは、どのように響くだろうか。
言葉とは、常に文脈によって意味や位置づけが変わる。
だからこそ、誰かを救う言葉は、別の誰かの可能性を潰すこともある。
それでも、その二つの例は、心の奥深くではつながっている。
初日から仕事に行きたくないほどのつらさやしんどさは、
怠けや弱さで簡単に片付けてよいものではないのかもしれない。
そう思うと、更新は自然と滞ってしまった。
心の片隅ではそんな自分に嫌悪感を抱きながらも、どこから手を付けていいのかわからなくなった。
それから3年ほどがたち──
なぜこのタイミングで、再び火を灯そうと思ったのか。
この間、私は元いた職場に戻り、
トラウマの研修会や勉強会にも積極的に参加してきた。
子どもたちだけでなく、彼らを取り巻く大人たちを支援する中で、
さまざまな苦悩や葛藤、よくありたいという祈りや願いに出会った。
それでも、はっきりとした「きっかけ」はない。
──虐待を受けた子どもが、自らの人生史を語りながら、未来への希望を語ったこと。
──支援者が子どもたちを支えるために、苦悩を分かち合いながら模索を続けたこと。
それらは確かに影響している。
けれど、「これがあったから」と因果関係で語れるものではない。
なぜなら、
それらは「私とあなた」、そして「私自身」の物語が往還しながら、
大きな、しかしごく小さな物語として、静かに編み込まれているからだ。
それは、私が心理臨床で大事にしていることのひとつだ。
たとえば、抑うつ症状に対する認知行動療法のアプローチは、
科学的にも効果が支持されている。
ここには、ある程度の因果関係を前提とした視点がある。
しかし、科学的に支持されているということは、
あくまで「多くの人に効果があった傾向を示している」に過ぎず、
認知行動療法をすれば誰もが回復するという保証ではない。
そして、
その枠組みからこぼれた人たち──
努力しても効果を実感できなかった人たちにとって、
「効果的だと言われているのに、私はうまくいかなかった。
私はやっぱりだめな人間なんだ」
という思いを強めてしまう危険もある。
人を癒すために使われるはずだった道具が、
容易に相手を傷つける暴力へと変わることもある。
なおかつ、
こころという捉えようのない、流動する体験を扱う以上、
科学の持つ恩恵と同時に、
その「影」にも目を向け続けることが必要だと思っている。
そんなことをこの何年か、私は静かに考えてきた。
それを形にする場はなかなか持てなかったけれど、
今、私は少しずつ、それを語りたくなってきた。
こころの多面性を語る場所。
自分のためにも、
そして、問いを抱えている誰かのためにも。
そんな場を、静かに育てていきたいと思う。
だから──
私はセンターに再び火を灯し、
小さなかがり火で、あなたを迎える準備を始めた。