カウンセリングとお金のこと

はじめに:「話を聞くだけで1万円?」という疑問について

現在、かわむらカウンセリングセンターでは、1回の心理面接につき1万円の料金を頂戴しています(令和7年6月8日現在)。

「お話を聞いてもらうだけで、その金額は高いのではないか」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。
実際、私自身も開業の際にはこの料金設定について何度も迷い、考え直しました。

けれど、それでもどうしてもこの価格にする理由があると、今では確信しています。
今日は、「なぜ(比較的高額な)料金を設定することが、カウンセリングに必要なのか」について、少しお話させてください。

見えない準備としての「専門性」

私は、特定の心理療法に特化したカウンセリングは行っていません。
かわむらカウンセリングセンターでは、「人は、成長する力をもともと持っている」という立場に立ち、その力が十分に発揮されるようにサポートしています。

この立場は、人間性心理学と呼ばれる考え方に近いものです。
そしてこの立場に立つと、自然と次のような問いが浮かんできます。

「では、その人の成長を邪魔しているものは何だろう?」

今の社会では、そうした“成長を阻むもの”があまりにも多く、複雑です。
経済的な困難、虐待や不適切な養育、急激な社会変化、そして“自分を責めてしまう文化”……

そうした背景のなかで、「ついていけない」「うまくいかない」と感じることは、むしろ自然なことです。

だからこそ、カウンセリングではその人がどんな育ちを経て、どんな体験をしてきたのかを丁寧に理解していきます。

その際、愛着やトラウマの理解は欠かせません。
「なぜこう感じるのか」「なぜうまくいかないのか」を紐解くためには、専門的な視点が必要になります。

愛着やトラウマに関する研究は、今も進化し続けています。
これらを扱うためには、本を読むだけでなく、研修会への参加や、信頼できる専門家からの指導を受けることが不可欠です。

専門書の多くは高価で、1冊5,000円を超えるものも少なくありません。
しかも、それらは単独で読めるわけではなく、多くの場合、前提となる知識や別の書籍へのアクセスを前提に構成されています
さらに心理臨床の世界には、明確なガイドラインが存在しないため、「何を学ぶか?」という問いから自分で模索し続けることが求められます。

そうした背景があるからこそ、面接で行われる“ただ話を聞く”という行為の背後には、
長年の学びや準備、そして倫理的責任が詰まっているのです。

「無料の関係」に潜む危うさ

私は、「人のこころは、本来お金で測れるものではない」と考えています。
この立場に立つと、理想的にはカウンセリングは無料であるべきだ、という意見にも一理あるでしょう。

でも、私はそれをとても危ういことだと感じています。

たとえば、無料でカウンセリングを受けていると…

  • 「お金を払っていないのに、こんなことを話していいのかな」
  • 「こんな自分が話を聞いてもらえるなんて、申し訳ない」
  • 「せめて感謝しなきゃ…」と、セラピストを過剰に理想化してしまう

…といった気持ちが湧いてきやすくなります。
すると、本来“自分のための時間”だったはずの面接が、「相手のための時間」にすり替わってしまうことがあるのです。

対価が生む“自由”と“対等さ”

一方で、「お金を払っているからこそ言えること」も、確かにあります。

  • 「お金を払ってるんだから、これくらい聞いてくれるでしょ」
  • 「変わらないじゃないか」と感じる不安や怒り

こうした感情を自由に出せることこそが、カウンセリングという安全な関係の強みです。
そしてその感情の奥には、普段の対人関係で感じている「期待と不安のパターン」が隠れているかもしれません。

「お金を払うから偉い」「払えないから下」ではありません。
むしろ、お金があるからこそ、互いが“自由な関係”でいられるための枠組みが成立するのです。

『オズの魔法使い』が教えてくれること

『オズの魔法使い』では、カンザスに帰りたいと訴えるドロシーに、魔法使いがこう言います。

「おまえにはカンザスへ送り返してくれとわしに頼む権利はない。
その前に、わしの役に立つことをしない限りはな。
この国では、なにかを手に入れるには、必ず代価を払わなくてはならんのだ」(麻生九美訳)

カウンセリングも、実はこれと同じです。
代価があるからこそ、「安心」「安全」「お互いの時間」が対等に交換される。
その蓄積が、ゆっくりと、でも確実に変化を導いていくのだと思います。

セラピストは魔法使いではありません

セラピストに出会ったとき、自分のこころをピタリと言い当ててくれたり、
長年の悩みを魔法のように解決してくれそうだと感じることがあるかもしれません。

でも、私たちはオズの魔法使いと同じです。
すごい存在に見えても、それはただの人間です。
(…さすがに“ペテン師”と言い切るには少し抵抗がありますが(笑))
私たちを「すごい存在」に見えたとしたら、それはあなたのなかに「すごい自分」が育っていることを示しています。
あなたのなかに「すごい自分」が息づいているからこそ、相手を「すごい」と感じるのです。

けれど、そんな私たちでも、オズが気球を用意したように、
あなたが自分のペースで、自分を大切にしていくための準備や支えをすることはできます。

おわりに:安心して出入りできる場所でありたい

かわむらカウンセリングセンターは、「あなたが自分の時間を、自分のために使っていい」ということを、
その枠組みから保証したいと思っています。

料金とは、支配や上下関係ではありません。
“安心して頼れる自由”をつくるための、象徴的な契約なのです。

あなたが、あなた自身のために生きていけるように。
そのそばに、私たちがいられたらと願っています。

お問い合わせはこちらから。

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